odeko2005-11-09

「横浜トリエンナーレ2005」に再び行ってきました。今回は日中のトリエンナーレだったので天気が良かったこともありポカポカです。前回は夜空に浮き上がるようにライトアップされていたプロムナードの旗も、太陽の日差しをいっぱいに浴びてパタパタと音をたてながら風になびいておりました。
海沿いに出るとすぐに「05 ボートピープル・アソシエーション」という艀(はしけ)を改良したスペースがあります。海に浮かんでゆらゆらと揺れているその中にはソファーがあり、フワフワ感を楽しみながら休憩することができます。ちなみに金曜日の夜には水上ラウンジになるとのことです。
いきなりの小休憩を終えて…暖かな太陽と潮風に包まれながら旗の音の中を歩いていると、目の前に近づいてくる異空間に引き込まれるかのように現実からドンドン引き離されて行く感じがします。

会場は3号・4号上屋と間のナカニワ、海沿いのハトバ・センタンに分かれています。3号・4号上屋はさらにA・B・Cと区分けされており、今回は会場内3Aで貸出している音声ガイド(500円)を利用してみました。最近は美術館などでもよく見かけますが、自分は初めての体験です。アーティスト自らが語る解説を聞きながらそれぞれの作品を改めて見て行くことで、前回とはまた違った印象を受ける作品があったり全く意味が分からなかった作品を理解できたりと予想以上の便利さに感動しました。
日中のトリエンナーレでは会場内を歩いている人も多いですが、波止場のチェアーで海を眺めながらくつろいでいる人達もいっぱいいます。内蔵をモチーフにした「03 アトリエ・ヴァン・リースホウト」周辺は景色も良くておすすめですよ。

さて会場内の作品ですが、会場内に3時間ほどいてすべてを体感することができませんでした。いちいち音声ガイドを聞きながら作品を見ているのだから当然と言えば当然ですが…
その中でも気になった作品をいくつか自分なりに紹介したいと思います。なお、ここから先は作品に関する内容となりますので先入観なしにトリエンナーレを楽しみたい方はご注意を!!


3Aで気になったのは「23 ヘディ・ハリアント」の作品。幼児用のミルク缶を使って制作された牛と赤ちゃんの顔、おしゃぶりがあしらわれたものです。多くのミルク缶が生産され母乳で子供達を育てることの少なくなった現在へのアンチテーゼ。一見華やかな作品ですが意味するところは深いです。

3Bでは「34 トニーコ・レモス・アウアッド」の作品。カーペットの綿毛を使い動物達が対話するように作られたオブジェです。作者が日本に来た時に見た、ゴザを引いて食事をする風景(花見かな?)からヒントを得て作った作品だそうです。日本人にとってはあたり前の風景が外国人から見ると興味深い対象となるんですね。色々な角度から物事を観察できるようになりたいと思わされました。
「61 照屋勇賢」の作品。マクドナルドの紙袋を立体的な切り絵のように使い森の木を表現したものです。紙袋の色合いをうまく利用し繊細に作られたこれらは、紙から木を作るという自然破壊へのメッセージや現代社会での無駄に対するメッセージが込められているのかな。
「52 さわひらき」の作品。彼自身の部屋の中をらくだやゾウのシルエットが静かな音楽とともに動き回るモノクロ映像作品。日常と非日常が融合しノスタルジックな雰囲気を漂わせる内容で時間を忘れて見入ってしまいます。自分もこんなイメージで作品を作ってみたいですね。発想の柔軟さに驚かされます。
「56 ソイ・プロジェクト」の作品。バンコクの路地(Soi)をイメージした中にバンコクのバーや迷路のようなイラスト作品などを展示しています。のんびりとくつろぐこともできるスペースなので一休みするにも良い場所です。

3Cでは「18 ジャコブ・ゴーテル&ジャゾン・カラインドロス」の作品。部屋の真ん中に置かれた一つのランプを囲みベンチが置いてあります。フランスでは会話が途切れた時に「天使が通った」というらしく、部屋の中が沈黙に包まれたときだけそのランプは灯るらしいのです。しかし人が出入りするたびに沈黙は破られ自分がいる間に灯ることはありませんでした…灯ったとこを見てみたい!
「40 奈良美智+graf」の作品。四角い箱ではなく大小の小屋を展示の場として展開されるもの。階段を上り下りしたり、外に出て眺めの良い景色を楽しんだりしながら展示スペース自体を楽しむことができます。小穴からのぞき見える子犬達などは思わず顔が微笑んでしまいますよ。絵や写真だけを見せるのではなく箱全体を作品として見せていくそれが現代アートなのかな?

4Bでは「07 ミゲル・カルデロン」の作品。ある喫茶店を舞台にベートーベンの第五交響曲運命のCDが奏でられる中でおこる人間模様がコミカルに描かれた映像作品です。同じ音楽を共有しながらも個々は全くつながりがなくそれぞれの時間をそれぞれの方法で過ごしている、現代社会での人々の不思議な関係性を浮き彫りにした内容。
「59 高嶺格」の作品。真っ暗なステージの上からスポットライトで照らされた文字やオブジェを会場内に流れる音楽とともに鑑賞するもの。どことなく寂しさや哀愁といったものを感じる内容で、砂漠を思わせる地面に浮かび上がる文字や様々なオブジェが遠い幼少期の思い出を回想しているような印象を受けました。安らぎとともに切なさをも感じる作品です。

4Cでは「49 ロビン・ロード」の作品。細長い回廊の奥にシャワーを浴びる男性の後ろ姿が映し出されている映像作品です。シャワーから出てくるのは真っ黒な水、今回のトリエンナーレが日本であることもありこのシャワーが意味する「真っ黒な水」=「黒い雨」すなわち原爆。さらにユダヤ人であるからゆえに迫害されたナチスドイツの「ガス室」をイメージしているとのことです。この映像の中に込められた大きなメッセージを多くの人に感じてもらいたい!
「10 チェン・ゼン」の作品。自然災害の中で一瞬にして時間が止まってしまったようなイメージの情景。今の今まで動き活動していた日常が静止してしまったリアル感を強く受ける内容です。近年の日本において現実としておこりえる風景がそこにはありました。

カニワでは「26 岩井成昭」の作品。ナカニワに置かれた公衆電話、この電話は着信専用。受話器を取って耳を傾けるとそこからは母親の声が聞こえてきます。自分には田舎がありませんが受話器の向こうから聞こえてくる声を聞いていると不思議と望郷の念にかられてきます…母さんは元気かな、遠くから自分のことを思ってくれているんだなぁ、なんて毎日顔をあわせているのに思ってしまうのです。



まだまだ観たりない。納得できるのは何回目なのだろうか…